2010年08月19日

沖縄戦跡巡りの旅418

沖縄戦跡巡りの旅418


 便所2(個室全景)

 参考まで。

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Posted by すぎやんま at 23:47│Comments(9)沖縄戦跡巡りの旅
この記事へのコメント
発掘から見えてきたトイレ事情

http://www.maibun.net/image/35-p7.pdf
Posted by びっと at 2010年08月20日 22:34
こんにちは。うんこで思い出したのですが、賀谷支隊長は6月には米須の壕(昭和高女らがいた)にいたようなのですが、その後の賀谷支隊長の足跡をご存知でしたらお教え下さい。
Posted by 阪神 at 2010年08月20日 23:12
びっと さん
いつもいろんな情報を有難うございます。そんな昔のトイレが残っているのですね。65年前はまだまだ新しいですね。っていうか写真のトイレを使ったと思われる人々はまだ生存している可能性もありますし、
Posted by すぎやんますぎやんま at 2010年08月20日 23:53
阪神さん
独立歩兵12大隊の最後は正直良くわからないです。映画だと冨盛の大獅子付近でしたが、「62師団歩兵63旅団独立歩兵第十二大隊史実資料」によると、
米須(6月2~10日)⇒小渡(6月10~14日)⇒仲座(6月14独立混成44旅団の指揮下に編入~18日約200m後方に移動)⇒真栄平(6月20日~)25日(21日説もあり)賀谷大隊長戦死

という事になっています。しかし、仲座を撤退してからは地理不案内(中頭地区を守備)な南部での夜間行動ですからどこまで正確か怪しいものもあります。
Posted by すぎやんますぎやんま at 2010年08月21日 00:28
すぎやんまさんありがとうございました。「首里高女の乙女たち(瑞泉同窓会)」によると6月21日に「米須の壕の左のほうにでんと構えて座っていた○○大隊長」と書かれています。恐らく賀谷大隊長の事だと思われます。
Posted by 阪神 at 2010年08月21日 22:56
賀谷大隊長の最後についての証言です。

高島軍曹の証言

「大隊長の最後は,当番兵の枡中上等兵から聞いたところ,三日後の18日に激戦の末,ついに周囲一帯を米軍に包囲され,その壕内で『これが最後だ。自決する。お前らは生きのびよッ』と言い渡された。このとき,壕内の大隊長を取り囲んでいた兵士たちは12名であった。兵士たちは命令に従って夜陰,壕を出た。それが大隊長をみた最後であった。このあと壕内に一人となった賀谷大隊長は拳銃で自決されたと思う。ただ,その最期を見とどけた者はいなかった。」
6月18日のことであった。

『悲運の京都兵団証言録 防人の詩 沖縄編』 京都新聞社


という記述があります。
戦場のことですから,日付けのズレはあるかもしれません。
Posted by 長男 at 2010年08月22日 22:19
 阪神さん

 米須から真栄平は、相当離れています。謎というかその辺が曖昧で普通です。一つ一つの証言を集めて組み立てると訳が判らなくなります。まさに「合成の誤謬」沖縄戦の記録は概ね作られたものかもしれません。

 長男さん
 18日が正確だとすると、大まかにどの辺りか想像できてしまいます。意外に大陸に逃げ延びてチンギスハーンになっているかもしれません。
Posted by すぎやんますぎやんま at 2010年08月22日 23:01
すぎやんまさん
 本島から脱出した兵士は沢山いますが、久米島、与論島、伊是名島などの離島に逃げた兵士しか知りません。
大陸に逃げ延びた兵士はいるのでしょうか?
Posted by 阪神 at 2010年08月23日 00:20
 あれは冗談ですのでわかりませんよ。
只、サバニでサイパンを脱出し沖縄に戻ってきたら米軍の艦艇がウヨウヨいて近づけず洋上で魚を釣りながら戦争が終わるの待っていた漁師が、名城だか小波蔵にいらっしゃるという話は聞いたことがあります。
Posted by すぎやんますぎやんま at 2010年08月23日 00:26
 
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