2013年01月13日
八重瀬町 91.4高地
91.4高地は、沖縄戦末期に日本軍が最後の抵抗をした拠点の一つだ。その北側中腹に、いかにも日本兵が篭っていた様な陣地跡?が残されていた。下から攻めてくる米軍から死角だったのか、陣地上部の岩に戦車砲などをボコボコ撃ち込んで篭った日本兵を生き埋めにした跡の様だった。
陣地と隣接する崖には不発弾が突き刺さったまま朽ちていた。直径およそ75mm。M4シャーマンの戦車砲弾かな?
陣地の中は瓦礫に埋もれていた。当時の地面は1m以上地中に埋もれているのではなかろうか?
掘削した塹壕かと思ったが、内部は石積みになっていた。空から死角になるような崖の窪みに石を積んで弾や爆風を遮蔽しようと言う意図を感じた。
陣地正面の景観。アメリカ軍は眼下の平原を右から左へと正面を横切る様に攻めてきた。例え迫撃砲や機関砲などがあっても戦いようが無かったのではないだろうか? 仮に球7836部隊が那覇市安里や真嘉比で消耗する前の状態でもせいぜい1週間食い止めるのが精一杯じゃないかと思われる。
陣地の中から東側を見た様子。足元の瓦礫は砲撃で砕かれて落ちてきた天井か?全体像を写したいが24mmでは入りきらない。17mmも持っているが超広角だと臨場感が無くなるので封印している。写真の技術が未熟過ぎる。
陣地の中には、瓦礫に混じって瓶や食器の破片、戦争末期のゴム底軍靴などが散乱していた。
沖縄本島の激戦地には未使用の手榴弾、小銃弾、装具の金具などが散乱しているが、91.4高地にはそれらが全く残っていなかった。ここに配備された球7836部隊第4大隊は臨時編成で人員や装備が著しく欠乏していたと考えられる。日本兵は抵抗と言うより降伏勧告を拒んで砲爆撃で吹っ飛ばされる為に配置されたのではなかろうか?どんなに大きな罪を犯してもこんな残虐刑に処せられる事はあるまいに......。
91.4高地の頂上を目指したが垂直な絶壁が行く手を阻んだ。この絶壁は砲弾で抉られたのかユンボで削られたのか壁面が荒れている印象である。
絶壁に沿って西へ進むと新たに陣地跡を見つけることが出来た。航空機からも台地の下の戦車からも死角になるように地形を利用して構築された陣地というか避難所だった。石が黒ずんでいるのは、焼かれた跡でなく藻のような植物が付着しているようだった。
石垣の裏側に入ってみた。裏側から見ると石垣は高く爆風除けにはなっていたようだ。
更に奥に進んだ。岩盤の天井なので空からは死角になっていた事がわかる。足元にも退避壕のようなものが掘ってあり、日本兵が砲爆撃を凌いだのだろうか?
陣地の奥には構築壕が残っていた。奥行きは5~6mあった。埋没しているのか未完成品なのか定かではない。
構築壕の中から眺めた開口部。ここにずっと隠れていれば砲爆撃を避けられたのかも知れないが、アメリカ兵が攻めて来たら応戦しなければ制圧されてしまうだろう。出たり入ったり休む暇もなかったと思う。恐らく力尽きて殺されるまでそれを繰り返していたのではなかろうか.....。
浴槽のように大きなコンクリート製の貯水槽が残されていた。篭城戦用か?
こちらは軍靴の一部。割れた甕は水や食料を貯蔵する為のものか?それともお骨を収める厨子甕で陣地になる前が風葬墓だったのか?
この陣地のベースとなっている洞窟は北西方向に向かって開口しており、写真の北に面した開口部は眼下の敵から死角になったので使い道はあまり無かったようだ。
遺留品を見ている同行者。そこそこ大きなガマである。そして暗い。
手前の岩肌はヒビが入っているが滑らかだが、奥はギザギザである。米軍側から死角にならない位置は激しい砲撃にさらされた模様だ。
当時は植物が砲爆撃で吹き飛ばされて視界がもっと良かったのだと思う。正面には八重瀬岳が見え、東(右)から攻めてくる米軍に対し、八重瀬岳からこちらへ伸びる稜線と手前の集落に日本軍が配置されていたらしい。
折角ここまで来たのだからという事で、頂上を目指したが絶壁が立ちはだかっていた。頂上には御嶽(ウタキ)があって御嶽に続く拝所道(ウガンジョミチ/ハイショミチ)があるだろうと楽観していたがそうでもなかったのだ。
木の根を掴みやせ我慢して絶壁を登った。絶壁の上に出たもののジャングルが濃くて頂上が何処かわからなかった。実はそれでもジャングルを掻き分けて頂上と思われる場所に辿りついたが草木が鬱蒼としているだけの写真しか撮れず、高地の反対側(南南西側に出ようとしたが木立の間からサザンクロスゴルフ場の建物が遠くに見えただけだった。これだけ手付かずの森が鬱蒼としているのだから、大小のドリーネやガマが手付かずのまま残っていてもおかしくないのではないかと思わされた。
91.4高地断崖の上からの眺望。潅木が多くて見通しが悪いが日本軍独立混成44旅団VSアメリカ軍第7師団の交戦地域を一望できた。日本軍の方は旅団と言っても実質1個中隊程度だったのではないか?
91.4高地の下のほうには、等間隔に小さな避難壕のようなものが点在していた。内部の壁面は滑らかで攻撃を受けていないのかと思っていたが.....。
撮影している私の頭上約1mの壁面にはこぶし大の弾痕らしい穴が二つ刻まれていた。写真を見てまあそんなものなのか.....と納得させられた。
撮影 2012年11月下旬 EOS5DMarkⅢ+EF24-105mmF4LUSMIS/SONY NEX C3 E16mmF2.8
Posted by すぎやんま at 01:02│Comments(0)
│沖縄戦跡巡りの旅
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