2009年11月27日

沖縄戦跡巡りの旅380

 
沖縄戦跡巡りの旅380


 墓に封印されたもの EOS5DⅡ EF24-105mmF4LIS
 
 那覇在住のとある人のご好意で、ご自身の300年にわたってご先祖様を祀っているお墓の中を見せていただいた。このお墓は、ニービの斜面をくり抜いて掘られたフィンチャー墓で、空き墓でなく今も厨子瓶が並んで収められている。入口を塞ぐ石を前に倒し、木の枝でかき回してハブと遭遇しないように処置してから腹ばいになって中に入った。

 墓の突き当たりは、階段状になっており、遺骨を納めた厨子瓶が並べてある。その後ろに漆黒の闇があった。日本軍が坑道を掘って銃眼にしていたのである。とある人の一家は、沖縄戦当時、北部に疎開していた。日本軍は、持ち主が留守の墓を勝手に暴いて陣地壕に改造していたのだ。坑道は幅90cm高さは1.2mのもので、急ごしらえのものだった。中に入って分かったのだが、総延長は100m以上あり、全部で4つにフィンチャー墓をトーチカとして連携させて火網を形成していたようだった。

 恐らく、シュガーローフやハーフムーンにも似たような形態の壕が掘られていたのではないか?と推測する。これなら、手榴弾や携帯用火炎放射器でやられても奥に逃げられるし、連携した他の銃眼から援護射撃を浴びせる事が出来る。たとえ一つのトーチカの人員が戦死しても地下から補充でき、非常に賢固な陣地として機能したと思われるが、戦闘に使った形跡が無く、一番大きな坑道だけ、多少の銃撃と火炎放射を受けた跡があったのみだった。首里複郭陣地の一角だったと思われるが、米軍の攻撃が北に集中し南部に押し下げられたので、この壕は位置的に戦火を免れたようだった。

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Posted by すぎやんま at 01:37│Comments(2)沖縄戦跡巡りの旅
この記事へのコメント
はいさい
杉山さん
ガンジュ~ですか?
お久しぶりです。
まった~です。

最近は戦争跡地に行くタイミングがなく、
時が過ぎてますが、杉山さんは相変わらず
頑張ってますね。

話しは変わりますが、杉山さんは
豊見城城址内にある
豊見城野戦病院跡地には
行かれたことありますか?

また行く予定などありますか?
前々から一度は見てみたいと
思うのですが・・・
現在館内入館禁止に
なってますよね?

それで行く予定があれば
一緒に連れて行ってもらえないかと
図々しく、お願いしてみました。

何らかの影響でなくなる可能性も
今のところ出てきてますし・・・
長々とすみません。
Posted by まった~まった~ at 2009年12月01日 13:26
はいさい!まったーさん!
ちゃあがんじゅうやみしぇーみ?

豊見城野戦病院壕は、やはり閉鎖されているので入った事がないですよ。地質がクチャなので大半が埋もれているみたいです。

山第二野戦病院は、八重瀬町小城にも2判部がありましたが、そこも場所を確認できませんでした。山第1野戦病院は、八重瀬岳で、手術壕が残っていますね。新城分院のガラビヌヌマチは行ってきました。単独縦断めっちゃくちゃ怖かったです。

 62師団武富病院壕も見つけられず。米須の病院壕は、地下ダムによって地下水の水位が上がって入れず。反対側はゴミに埋もれて入れず。小波蔵野戦病院壕は、産廃処分場に埋もれてるし、なかなか残っている場所は少ないですね。

 ナゲーラ壕は、空気が重くてげんなりしてしまいました。
Posted by すぎやんまじむん at 2009年12月02日 01:14
 
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