2009年01月03日
沖縄戦跡巡りの旅202
山の下を貫くトンネル状の地下壕。長年の堆積と崩落により天井までの高さは1mを切るか切らないかという程度になっていた。止せばいいのにアヒル歩きで山の反対側まで踏破した。当たり前だけど腰や膝が痛くなった。息苦しいし後半は体を伸ばしたくって仕方が無かった。当時の兵隊は非常に窮屈で大変だったと思う。お約束の通り足元は泥濘で天井が低いので殆ど撮影にならなかった。
この壕を掘ったのは歩兵32連隊第3大隊(満尾大尉)か?それとも台湾に抜かれた武部隊か?詳細は不明である。米軍がこの付近に進出したのは1945年6月17日頃で、日本軍は歩兵22連隊(吉田中佐)の僅かな残存兵力がトンネルを抜けて正面西よりの丘の壕内で抵抗をしていたが、米軍の馬乗攻撃を受け、連隊司令部もろとも爆破されてしまった。翌日の6月18日は、更に西側の丘の上で視察中の第十軍司令官バックナー中将が日本軍の集中砲火を受けて戦死している。
Posted by すぎやんま at 00:00│Comments(0)
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