2008年05月15日
沖縄戦跡巡りの旅018

戦火を免れたガマ EOS40D EF17-40mmF4L
とある集落の川に面した南斜面にある。この集落は奇跡的にも戦火を免れ今に至っている。本来この集落には24師団32連隊第1大隊の一部が駐屯していたが、大隊は小波津、棚原、南上原、前田、140,150高地と転戦を繰り返すうちに消耗してしまった。
1945年6月9日、米軍がこの集落に到達した時には既に日本軍の配置兵力が無かったので戦闘は免れた。記録によればM得川を挟んで戦闘が繰り広げられた。日本軍は対岸の照屋に陣取り抵抗をした後、糸満市街を越えて国吉丘陵に集結し激しく抵抗した。
この集落をアメリカ軍は早くから兵站として利用する事を考えたのか?艦砲弾は3発しか打ち込まれず(そのうち2発はO間グスクとS川権現前に落下し集落を外している)ほぼ無傷のままアメリカ軍の手に落ちた。
とある老人の話だと、集落の中心(K地腹の拝所前)にアメリカ軍憲兵隊が駐屯し、O間グスク横には車両整備所が作られたと言う。憲兵隊の監視下という事もあり、アメリカ軍兵士は規律正しく住民にはとても親切だったと言う。
それに引換え、日本軍に対しては、この集落で娘を強姦したり村民を殺したりした兵隊が居たと言う事で怒りを露にしていた。この集落で騙されて連れてこられた女性を輪姦した兵士が居たという話を読んだ事があったのでその事か?と思った。
最期に、その話を聞かせてくれた老人は、「日本の兵隊は悪くない。悪いのはその兵隊が受けた教育だ。悪い教育が兵隊に蛮行を働かせたのだ。」と付け加えたことが印象に残った。今日もその老人はK城グスクから海を眺めているのだろうか?
Posted by すぎやんま at 00:00│Comments(0)
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