沖縄戦跡めぐりの旅388
手術壕入り口
ここに運ばれてきた来た負傷兵の心境を想像してみた。
運玉森南斜面で迫撃砲を浴びた。破片が左太腿を貫通し意識を失っていたが、誰かが壕内に運び込んでくれた。目が覚めたのは衛生兵の応急処置の痛さだった。傷口にヨードチンキを掛けてグイグイ包帯を巻いただけだった。絶え間ない砲爆撃で壕はグラグラと揺れた。至近弾の爆風で明かりが何度も吹き消された。地面は負傷兵がビッシリと寝かされ、数人の兵隊は壁にもたれて立ったまま仮眠をとっていた。夜になって軍医が診察に来た。診察といっても症状を衛生兵に告げ、衛生兵は荷札のようなものに、症状を書き込み手首に巻きつけるだけだった。軍医は、「貴様、ここに居ればやがて傷口が腐って死ぬぞ!しかし脱出は不可能に近い。もし奇跡的に東風平の野戦病院まで搬送できれば助かるかもしれぬ。どうだ?行くか?」私は二つ返事でハイと答えた。夜半前に具志頭から物資を運んできた防衛隊員の担架に乗せられ運玉森を後にした。絶え間なく打上げられる照明弾。周囲でボカボカと落雷のように炸裂する砲弾。高い密度で飛び交う銃弾と破片。たまたまその瞬間そこに居なかったら助かっているという偶然の連続。出発して数分もしないうちに、負傷者運搬の隊伍はバラバラになった。家々がゴウゴウパチパチと燃える集落を走りぬけ、しのつく雨の中闇から闇へと担架は進んだ。「防衛隊員は、大勢で居ると良い標的になりますからこの方がいい!」と言った。雲は炸裂する砲弾の閃光で稲光のようにピカピカと照らされた。野戦病院壕の入り口に着くと、壕入り口付近のくぼ地に寝かされた。防衛隊員は私の水筒に水を汲んできて首から提げてくれた。夜明け前に防衛隊員は去り具志頭へと帰って行った。周囲が明るくなると負傷兵でいっぱいだった。隣に寝かされていた負傷兵に話を聞くと、もう3日も放置されているのだと言う。軍医も医薬品も底を突いているとの事だった。夜が明けた。物凄い悪臭である。周囲を見まわすと生きているのか死んでいるのか判らないボロ布みたいになった負傷兵が所狭しと横たわっていた。日没後の夕闇の中負傷兵を満載したトラックが到着した。みんな粗大ゴミのように引きずり落とされ、痛さで悲鳴を上げていた。トラックの荷台は血が幾重にも固まって暑さ5cmのコンニャクみたいになっているとの事だった。ここまで防衛隊員に大切に運ばれた事。そして自分が比較的軽傷な事に感謝した。放置三日目が過ぎた。傷口は化膿して太腿は倍近い太さに腫上がった。隣の兵隊は糞尿を垂れ流しにして汚いと思ったが、やがて自分も高熱に見舞われ立てなくなり仲間入りする羽目となった。至近弾が炸裂した。周囲に居た負傷兵がバラバラになって吹き飛ばされ、やがて落ちてきた。飛び散った血と内臓をもろに受けて真っ赤になった。やがてそれが腐敗し始め腐肉にまみれて半日を過ごしたが雨が降って何とか救われた。至近弾の炸裂以来耳が聞こえなくなった。いや耳鳴しか聞こえなくなった。足はズキズキを通り越しウジが沸いた。5日目の晩、朦朧とした意識の中担架に拾われ壕の中に担ぎ困れた。軍医との筆談で、「貴様の足は腐っているから、今すぐ切断しないと死ぬ。しかし、衛生資材も麻酔も欠乏している。麻酔なしで鋸で切断するが覚悟はいいか?」「貴様は、大分衰弱しているようだから助からんかもしれん。しかし、幸い破傷風もガス壊疽も発症していない。手術をするぞ!覚悟はいいな!」私はまた二つ返事で「お願いします!」と言った。その瞬間口の中にタオルを押し込まれ、裸にされて手術台に縛りつけられた。ろうそくを持った女学生が寄ってきて傷口を照らした。なんだ、あの時、即死していればこんなに苦しまなくて済んだのに.........そんな気持ちが過ぎった。
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